はなのいろかおる (Page 3)

「海外に行くことになったよ」

みんな、安らぎを求めている。
俺もこの仕事をして、人に安らぎを与えている。
でも、誰かに癒されたくなる日もある。

それが、彼だった。

俺は仕事だということを忘れて、彼に寄り掛かろうとしていた。
プロとしては失格だ。

関谷さんの一言で、自分の置かれている立場を思い出した。
大丈夫だ。
この仕事は10年もやってきた。
去るものは追わない。

関谷さんが優しく微笑む。

―――ちがう、追えないんだ。

「帰ってきたときには、会いにくるから。」

「えぇ、是非」

欲張ると、身を亡ぼす。

“彼の幸せを願いたい”
“信じる”と思えば、いつも、切なくて苦しいから。

「今日は、それだけ言いに」

―――もう、大人だからわかってるよ。

自分の引き際も、相手を愛さない方法も。

それでも、引き留めてしまいたくなる。
足を走らせて、彼を追いかけて、その広い背中に抱き着きたくなる。

ねぇ、関谷さん。
「ありがとう」
いつも、あなたの感謝が俺には、痛くて切なくて、苦しかったよ。

でもね、
「サヨナラ」は、もっと痛くて切なくて、苦しいんだね。

関谷さんは、茶封筒を俺に握らせ、きびすを返した。

寒空の下、降りだした雨の中で、俺は一人で声をあげて泣いた。
閑散とした廃墟塗れの土地が、俺を抱きしめてくれているように感じた。

本当は誰からも必要とされていない、ただ壊されるのを待っている。
彼らも雨の日は泣いている。

結婚してたのかな、
こどもがいたのかな。
いくつだったんだろう。

どこへ帰っていくんだろう。
俺は、彼のセックス以外は何も、知らない。

今日もいつものように気だるく呼ばれた場所へ、ふらふらと蝶のように舞い降りにいく。
誰か知らない寂しい人の元へ、と。
俺は誰かの恋人ごっこに付き合って、誰かを優しく愛してあげる。

ざわざわと騒がしい商店街を抜けて、足早に歩けば少し栄えた路地裏につく。
派手なネオンの集合体の前で、少しのため息をついてホテルに入る。

――このホテル。

水曜日の21時からお泊りコース。
こんな平日のど真ん中に。

お泊りコースを頼む奴に、ろくな客はいない。
嫌な思い出もたくさんある。
当たり外れが大きい。

―――馴染みじゃないなら嫌なのに。店長に、客の名前と情報聞いてくるの忘れた。
やる気のなさと少しの恐怖でドアノブを握って引く。

ホテルの扉を開けると、ジャスミンの香りがした。
よく磨かれた革の靴、紺のジャケット、フチが茶色のメガネ。

「関谷さ…なんで…っ」

「言ったはずだよ。
帰ってきたときには、会いにくるから」
  

Fin.