あふれる愛をささやくのは
女装が趣味の紗雪(さゆき)は、外出中に弟の明人(あきと)に街中でナンパをされる。兄だと気づいてない様子の明人に「ホテルに行こう」と誘われた紗雪はその場から逃げ出した。しかし別の日に待ち伏せをされていた紗雪は、明人を自宅に招くことになり…。
「ねえ彼女、一人なら一緒に遊ばない?」
日が暮れた頃、映画館から出ると彼は声をかけてきた。
自分よりも身長の高い男が、『わたし』に話しかけてくる。
それはナンパという行為なのだろう。
だけどわたしにとってナンパ行為が問題なのではない。それよりも問題なのは…。
(明人…!?)
声をかけてきた人が弟ということが問題だった。
それも自分を『女性』だと思っての行動。
『彼女』、すなわち女装している俺のことだ。
社会人になって一人暮らしをしてから、こうして外に出るときは女装をして出かけるようにしている。
趣味もあるが、低身長のコンプレックスを隠すためでもあった。
「ねえダメ? 俺も一人なんだけど、暇だしどう?」
「…ぁ…えっと……」
「最近できたクレープ屋さん、男だと行きづらくてさー。一緒に行ってくれると嬉しいなって」
兄と話す口調とは違って、明人は優しく女性に対して接する。ここで兄だなんて知れたら最悪だ。
「…ごめんなさい」
「連れいないならいいじゃん。おごってあげるし」
「え…いや、それはちょっと…」
「いいじゃん。一緒に行こうよ」
グイっと肩を抱いて、明人は俺の言うことを無視しながら歩き出す。ていうか『男』だってばれないことが悲しい。
それに弟よりも小さい兄ってのも変な話だ。
ヒールを履いても俺の身長は明人の肩ぐらい。男にしては相当小さい。
「ねえ名前は? 俺は明人」
「っ…」
「あれ、聞いてる?」
立ち止まった明人は肩を組んだまま顔を近づけた。
覗き込むように俺の顔を見てまっすぐ目を見合わせる。
「可愛い顔。名前、教えて」
「…ゆ、き…」
「ゆき?」
とっさに口から出た名前に明人から目を逸らした。
本名なんか言えるわけない。
「へえ、可愛い名前。よろしく、ユキ」
名前を呼びながら笑う彼に胸がツキンッと痛んだ。
男だと知らず、それも兄だなんて思わずに明人は俺から手を離さない。
それよりもこんな遅い時間に明人が歩いてるなんて、父さんたちは怒らないのだろうか。
大学生だから門限はもうないのかもしれないけど、ナンパしているのは話が別だろう。
肩を組まれたまま街を歩くと、視界の先に行列ができてるのが目に入った。
甘い香りに女性たちの列ができている。
そこは俺も気になっていたクレープ屋だった。
「あれ、明人くんだぁ」
「学校の外で会えるなんて超ヤバイ!」
女性たちに明人は声をかけられ、足を止めては彼女たちに目を向ける。
「やっほー。君たちもクレープ?」
「君たちもってことは! 明人くんも?」
「そうそう」
「え、明人くんって甘いもの好きなの? …えっと一緒にいる人って」
「この人は俺の彼女。デート中だからごめんね」
やんわりと断った明人は俺の肩を抱いたまま最後尾へと並ぶ。
(…あれ明人って甘いもの好きだったっけ?)
俺の記憶が正しければ苦手なはずだ。
まあ好みが変わったと言われればそれまでだけど。
最近のコメント