赤い唇に囚われて

・作

俺、穂高(ほだか)と一条(いちじょう)は体だけの関係だ。ある日、穂高は一条からお願いごとをされる。「SMを教えてほしい」と。経験のない穂高だったが一条のお願いは断れずSMをやることになる。今まで見たことがない一条の姿を目にした穂高は…。

俺は手の中にあるものをしげしげと眺めた。細くて、ザクロを連想させるような赤。見た目の割には重さがある。

これのどこがいいんだか…。

初めてならこちらだと手渡された鞭(むち)は、革紐で編まれた一本鞭だ。
力の加減を間違えないようにと意地悪そうに言われたが、初めてなんだから加減がどうこうなんてわかるわけがない。

そもそも鞭で人を打って快楽を得るとか、理解に苦しむ。
できることならお近づきにはなりたくない…いや、接点はないな…。快楽を得る方法はいくらでもある。

「…人の趣味にツッコミは入れたくないけどな」
「ぼやきはあとにしてくださいよー」

部屋の隅に置かれたベッドの上の白いかたまりが、ぼーっと動いた。少し不満げな声はベッドから聞こえた。

壁にあるスイッチを押すと暗いオレンジ色の照明がぽつぽつとともる。

ベッドには白いシャツ1枚を身に着けた細身の男、一条(いちじょう)がいた。白い肌に、猫のような瞳。男にして赤すぎる形のよい唇が目をひく。
シャツから伸びた脚はそれなりに筋肉がついてはいるが、その白さとしなやかさは同じ男とは思えない。

「本当にやっていいのか…?」

いまいち気が乗らない。そんな気持ちが声に出ていたのか、一条は口元だけで笑う。どうぞ、とでもいうように一条は白いシーツの上にうつ伏せになった。

「お願いしたのは僕なんですよー。穂高(ほだか)さんは何も考える必要はないんですよ」

ちらりと向けられた横顔の美しさと赤い唇に、俺はどきりとする。体の奥でなにかがくすぶり始めたのを感じていた。

*****

一条は男相手に体を売って、お金を得ている。俺と一条の関係もそこから始まった。
最初は体だけの相手だと割り切っていたけれど、回数を重ねるごとに一条にひかれていたのも事実だった。

ある日、お願いがあります、と一条から言われた。次の相手がSM好きなのだという。

「SMって…、縛るとか、鞭で打つとか?」
「ハイヒールで踏むとかでしょうか?」

一条に笑顔で言われて、俺は喫茶店のテーブルに突っ伏してしまった。

「穂高さーん? どうしましたー?」
「どうもなにも…、他人ごとみたいに言ってるなよ。どうして、そんなことになった?」
「相手の方のご指名ですから」

目の前でにこにこと笑われて、俺は心底脱力した。

「一条、そっち系の経験があるのか?」
「そこです! 僕には経験がありません。そこで、穂高さんにお願いがあります」

お願い? まさか…俺を鞭で打ちたいとか、か?

「穂高さん、僕に教えてください」
「何を?」
「SMを」

一条の顔を穴が開くほど見つめてしまった。

「…俺は、そういう趣味はないぞ」
「知ってます。でも、穂高さんに教えてほしいんです」

まなじりの切れ上がったきれいなふたつの瞳に真正面から見つめられる。俺の中から、断る、という選択肢が消えてしまっていた。

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