フォレスト・イン・レイニーデイ
音楽系の専門学校に通う佐原葵は、ある日雨宿りに入った小さな喫茶店『フォレスト』の店主・森野景市にひとめぼれする。そのままフォレストへ客として通い詰める葵は、他のことも手につかないほど景市に溺れていく。そんな中、意外な事実を景市から告げられて関係が急接近…!?
バケツをひっくり返したような、大降りの雨の日だった。
「あちゃー…」
学校の帰り道、僕ーー佐原葵は、思わずそう呟いた。
家近くの駅に降り立った瞬間、ぽつぽつと降り始めたなと思っていた雨が強くなり、一気に土砂降りになった。
どうせ家に着くまでには止む雨だろうと呑気に歩いていた僕は、予想外の天候の急な変化から逃れるために走る。しかし、自宅まではまだ時間がかかるし、ましてやタクシーなど学生の僕にとっては選択肢にすらならなかった。
なにより、これ以上雨の下に晒されたままでいると、背負っているギターが濡れないか心配だった。ハードケースに入れているものの、隙間から雨水が入り込んだらひとたまりもない。
「…あ、あそこ、ちょうどいいかも」
走っている途中に見つけた、普段は入らないような細い路地。その先に、日除けがある店があるのを見つけた。雨宿りするにはいい場所だ。
近寄ってみると、どうやら喫茶店のようだった。
「えーと…”喫茶 フォレスト”か…」
看板に、細い書体で書かれた店名らしき文字を読む。まぁ、よくありそうな名前。
窓から少し店名を覗いてみる。年季が入っているというほどでもないけれど、僕ら世代のような若者にはあまりウケなさそうな雰囲気の店だった。ちなみに客はサラリーマン風の男が1人。
いつもはこういうところには入ろうともしないけれど、ただ雨宿りさせてもらうだけなのも申し訳なかったので恐る恐る入店した。
「すみませ〜ん…」
店に入ると、コーヒーの香りが鼻腔を刺激した。
そして、カウンターに立っている人物へ反射的に目を向ける。
そこには、僕より少し年上かな、という年頃の男性が立っていた。黒髪のセンターパートで肌は透き通るように白く、眼鏡をかけている。全体的に聡明な雰囲気だ。
思わず目を奪われる。今まで実際に目にした中で、どんな人間よりも綺麗だと思ったから。
そんな僕に構わず、新たな客の入店に気づいた彼は、固まる僕に穏やかな笑みを浮かべてくれた。
「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」
低く優しい声に、僕の胸の鼓動はますます速くなっていく。
「あ…は、はい」
「お好きな席にどうぞ」
そう促されて、僕はすぐ近くの1人席に座る。
すると、店主の彼は水とおしぼりをトレイに乗せてすぐこちらに来た。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「メニューはこちらになります」
柔軟剤だろうか、彼が僕の前にメニューを広げてくれた時にふわっと良い匂いがした。感情の昂りが表情に出ていないか心配だ。
「あと、こちらお使いください」
「え?」
「ギター濡れたらだめになっちゃうでしょう?」
そう言うと、彼はハンドタオルを差し出してくれた。
「は…はい」
こうして僕は、彼ーー喫茶『フォレスト』の店主、森野景市にひとめぼれしたのだった。
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