美味しいものは、後に取っておいて

・作

取り壊し間近のアパートで、隣に住む白雪は虫が苦手で。部屋に出る度に呼ばれる志島。すると、お礼に白鳥はいつも手料理を振る舞ってくれる。そうしたやり取りの中で、彼との距離も次第に近づいていって…。

「志島さん!クモが出た、助けて!」

取り壊し間近のアパートで、隣に住む白雪はいつも虫が出れば呼びにくる。

「あ?ちょっと待ってろ。この煙草だけ吸ってからな」
「無理だよ。俺、怖くて寝れないって」

白雪に引きずられるようにして部屋を出て、彼の部屋でクモを捕まえ、外に逃してやる。
別に志島にとっては気にもならないことだが、白雪には触ることすら恐ろしいようで。

「いつもありがと。でももう、こんなやりとりも終わりだね」
そう俯(うつむ)いて、どこか寂しそうな顔をする彼。
このアパートは再来週には取り壊されるため、お互いにここを出て、別のところで暮らしだすのだ。

「あ、そうだ。ご飯一緒に食べよ?今日はたっぷり野菜が入ったカレーだよ」
「あぁ」

こうして、彼に呼ばれて共に食事することももうできなくなるだろう。

元々、男のくせに可愛い顔立ちや小さな身長の白雪は志島の好みで。
しかし、白雪はノーマル。

志島は、彼と友人以上の関係に踏み込むつもりはなかった。

*****

ある日のこと。
友人たちとバカ騒ぎをして、浴びるくらいの酒を飲んで帰宅した志島。
部屋の前には小さく座り込んだ白雪がいた。

「志島さんっ…」
「あ?虫か?勘弁しろ、俺は今日、もうベロベロだ」
歩くことすらままならなくて、ふらふらと視界が揺れるなか、扉に手をかける志島。
しかし、どうしてもそんな白雪を放っては置けずにため息をついた。

「お前、そんなんで次のところも生活していけんのか?選ぶならこんなボロいアパートじゃなくて、綺麗なとこ住めよ」
「…っ、違うよ!」

志島がそう声をかければ、目を真っ赤にした彼は志島を睨(にら)んでいる?

「毎回、虫を理由にしたのは俺も悪かったけど…でも、そうじゃなくて。もうすぐ取り壊しでしょ…あの、俺…」
何か決心した様子の彼だったが、今ひとつ最後まで口に出せないままで。
志島は酔った思考のまま、そんな彼をぼんやりと眺めていた。

困ったときの彼の癖なのだろう。
彼は唇を噛(か)んでいて、志島はその唇から目が離せなくなる。

「…美味そうだな」
そうして、そう口にしたのはふと思い浮かんだ言葉だった。

酒のせいもあるのか、今はただ頭が回らなくて。
ただ、彼のそんな唇が美味そうに思えたのだ。

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