雨に濡れる花
ある雨の日、シンヤは恋人のトオルの家を訪れた。年の差は一回り。ちゃんと恋人として扱ってくれているものの、トオルは若いシンヤがいつ離れてもいいように距離を置こうとする。もどかしいけれど大切にされているのがわかっているから、めいっぱいの愛情を贈るのだが──?
「もしもしトオルさん? シンヤです、うん、急にごめんね。今、近くにいるんだけど。ビーチサンダルが壊れちゃって…ちょっと寄らせてもらってもいい?」
片足に引っかかるビーチサンダルは鼻緒が引っこ抜けて修復不可能の有様。
もちろんいいよ、気を付けておいで、なんて。
低すぎない優しい声が大好き。
思わずにやける頬に力を入れて、最後の角を曲がった。
「シンヤくん」
年季の入った美しい数寄屋門(すきやもん)の前でトオルさんが立っていた。
黒の無地と片袖にだけ古織柄(こしょくがら)の布を使ったおしゃれな作務衣(さむえ)で、ビニール傘を片手に手を振ってくれた彼が、ふとオレの足元を見て目を丸くしたする。
「思ってたより大変だったんじゃない?!」
「いきなりごめんねトオルさん」
「私は全然かまわないけど…もう! 雨の中で傘も持ってないなら迎えにいったのに!」
「約束もしてないのに、家に寄らせてもらえるだけでもありがたいし…」
「変な遠慮しないの! ほら、おいでシンヤくん」
すでにびしょ濡れなオレに傘を向けてトオルさんが雨にさらされる。
玄関まですぐそこだから構わないのに、そういう些細(ささい)な優しさがオレを増長させるんだよ。
門と大きな藤棚の下を抜けると風格のある日本家屋が現われた。
何度見ても気後れしそうな大きな屋敷が、トオルさんの家だ。
古いばかりだよなんて彼はいうけれど、一人で暮らしながら綺麗に維持しているのを見ていると、どれだけ大切にしているかわかる。
「すぐにタオルを持ってくるからちょっと待っててね」
「はぁい」
トオルさんが申し訳なさそうな顔をしなくていいのに。
外観の通りに広い平屋の屋内は今どき珍しい純和風で、玄関に飾られた大きな花器(かき)に生けられた花は彼の作品だ。
明るめの色をした陶器から伸びる緑と花のコントラストが綺麗で、思わず目が釘付けになってしまう。
「シンヤくんお待たせ。ああ、身体が冷えてるな…軽く拭いたらすぐお風呂に入って温まってね」
「いいの?」
「もちろん。風邪ひいたら大変だし。明日は何か用事ある? もう夜になるし、よかったら泊まっていかない?」
「ぜひ!」
断るわけない!
思わず食い気味に返事をしてしまって、ちょっと恥ずかしいけど仕方ない。
*****
オレよりも一回り年上の彼は、華道の何百年も続くとある流派、その家元の家系だと聞いた。
真夏が通り過ぎるころ、気分転換に立ち寄った地元で愛される古い神社。
参拝の順序で手水舎(てみずや)に向かったとき、ヒマワリやダリア、他にも名前も知らないような大輪の花を持ったトオルさんがいた。
花手水(はなちょうず)を生けていたのがトオルさんで、それが最初の出会いにしてオレが恋に落ちた日だ。
まなじりをつり上げた真剣な顔に見惚れたオレは、トオルさんが仕事を終えるまでずっと彼を見つめ続けて、
──…好きです!
思わず口を付いたのは、自覚もしていなかった恋をどストレートに伝える馬鹿正直な好意で。
目を丸くしてびっくりしていた彼の顔は今でも鮮明に思い出せる。
最初は若造の戯言か、それこそ生け花の腕前に惚れこんだとでも思われていたかもしれない。
でもオレは諦めずお茶に誘い、食事に誘い、押して押して。
個展はもちろん、神社やお寺の生け花展示にも何度も通った。
最初は年下を可愛がる程度だった彼は、とうとうオレに押し負けてくれたわけだ。
*****
お風呂を上がると、トオルさんお手製の夕食が待っていた。
「今日は岩ガキがあるよ」
「美味しそう! あ、鮎(あゆ)も!」
「季節のものはその時期に食べないとね」
「トオルさんのご飯が美味しくて、自炊できなくなったよ」
「おや、それはそれは。うちの子になるかい?」
「…本気にするよ」
「いいね。覚悟が決まったらお嫁においで」
オレがいくらいったって本気にしてくれないくせに、からかうような、ちょっとだけ意地悪な笑みで思わせぶりなことをいう。
ちょっとふて腐れてみせると、すぐに機嫌を取って可愛がってくれるくせに。
年齢が離れているからオレがいつでも離れられるように、いつでも違う道を選べるように、って…そういう気持ちがわからないわけじゃないけど、悔しいな。
「あんまりいうと、すねるよ?」
「おっと、それは困る」
「ほんとに?」
「シンヤくんが可愛くて」
「可愛いんなら素直に可愛がってよ!」
「でも意地悪な私も嫌いじゃないだろ?」
「そりゃ、…」
あっ!
今の絶対引っかけた!
たまに子供みたいないたずらを仕掛けてくるからたちが悪い。
もう、後で覚えてろよ!
年の差・・・
年上だから別れる準備をして、年下だから全力で追い掛ける覚悟をするふたり、幸せに終わって良かった~(^^;)
大丈夫、幸せになれるからって応援したくなっちゃう
ねね さん 2021年10月7日