小説家は淫蜜な罠を仕掛ける
ボーイズラブ小説が大好きな篠崎成海(しのざきなるみ)は、サイン会がきっかけで憧れの小説家・風野彼方(かぜのかなた)と知り合うことに。優美な雰囲気の風野に惹かれる成海。「小説の参考にしたい」とインタビューを受ける成海だったが、理想の美を追い求める風野に媚薬を飲まされてしまい…。
「『あなたがいないと、もう僕は生きられません』か…」
読んでいた文庫本をそっと閉じると、篠崎成海はうっとりとため息を吐いた。
「僕もこんな恋愛、してみたいなぁ…」
頬を赤く染めながら、表紙に描かれた二人の美青年を眺める。
成海は学生の頃から、ボーイズラブ小説を読むのが大好きだった。
特に気に入っているのが、人気ボーイズラブ作家・風野彼方の作品だ。
男たちの甘美な恋愛模様は、いつだって成海をときめかせた。
「今日はついに、風野先生に会える…。あぁ、どうしよう!」
成海は寝転がっていたベッドの上で、本をぎゅっと抱き締めた。
今日はこれから、風野彼方のサイン会に出かける予定だ。
憧れの作家との初対面に、心躍らせる成海なのだった。
*****
会場の大型書店は、いつもと違うさざめきに満ちていた。
成海は肩身の狭い思いで、女性ばかりの列に並んでいた。
「…注意事項は以上です。それでは、風野彼方先生にご登場いただきます!」
アナウンスと共に現れた風野を見て、成海は目を見開いた。
「えっ、男の人?」
風野彼方は、落ち着いた雰囲気の男性だった。
22歳の成海よりもいくつか年上に見える。
甘いマスクに柔らかそうな黒髪、細身だが案外がっしりとした体つき。
カジュアルなジャケットスタイルで、姿勢よい立ち姿が決まっている。
「素敵な人だな…」
その優美なたたずまいに、成海はすっかり魅了されてしまった。
*****
ぼんやりと風野を見つめているうちに、ついに成海の番になった。
風野は成海の姿を認めると、穏やかな笑顔を向けた。
「男の子のファンが来てくれたのは、初めてだよ」
「あっ、僕…先生がデビューしたときから、ずっと好きで…」
伝えたいことはたくさんあるのに、本人を前にすると言葉が出てこない。
「それは光栄だな。お名前は…成海君か。綺麗な名前だね」
「えっ…」
さらりと名前を褒められて、緊張が高まった成海は完全に沈黙してしまった。
その様子を見て、風野はクスクスと楽しそうに笑った。
「緊張が解けたら、本の感想を教えてほしいな」
そう言って、メモ用紙に何かを書きつけると、サインした本に挟む。
「じゃあね。来てくれてありがとう」
「あ、ありがとうございます」
成海は何とかそれだけ言うと、フラフラとした足取りで会場を後にした。
深呼吸を繰り返しながら本を開くと、サインと同時にメモが目に入る。
「あ、これって…」
そこには、風野のメッセージアプリのIDが記されていた。
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