もっと近くにいよう (Page 2)

「拓。俺と一緒に暮らそう。俺じゃあ…、いやかな」

拓は黙って首を横に振り、俺の右腕にしがみついてきた。
拓の高い体温がシャツを通して伝わってくる。俺は左手で拓の頭を抱え、抱きしめた。
拓の服からかすかに匂う線香が、俺をどうしようもない気持ちにさせた。

*****

そのときの俺は大学を卒業したばかり。在学中に小説の新人賞を受賞し、その後も本を出版してもらえたけれどそれだけで食べていくには厳しい。アルバイトをしながらの執筆という生活に、何ができるかと周囲から言われた。
俺は世間のことはわかってないし、人を育てることに関しても何も知らなかった。
それでも、拓と生きていくと決めたのだ。

それから15年…。
俺は拓と暮らしていくためにたくさんの仕事をしながら、本来のジャンルとは違う大衆向け小説も書くようになった。
そのうちのひとつが人気あるミュージシャンに取り上げられ、コラボしたことがきっかけでアニメになったりして、30歳を過ぎたあたりから書くことで暮らしていけるようになった。

拓は反抗期もなく成長し、大学を卒業して大手の書店に就職した。
ひとり暮らしをしたいというのならそれでいいと考え、その話を何度か拓に振ってみるがあいまいな笑顔を返されるばかりだった。
拓は今も俺の家にいる。俺の好きな料理を笑顔で作ってくれるので、甘えているのだ。もう少し、少しでも長く拓と一緒にいられたなら、と。

…俺は拓を好きになっていた。たぶんあの夏、真っ黒な瞳で見つめられたときから。

でも、亡くなった姉に申し訳ない気がして口に出すつもりはなかった。叔父と甥、という関係を崩さないように、俺は注意深く線引きをしていた。

*****

1週間前のことだ。
拓とささいな言い争いをしたその日に俺は怪我(けが)をした。

出版社との打ち合わせで外出したときに階段から落ちたのだ。幸いなことに右ひざと右腕の打撲で済んだものの、右ひざは大きく腫(は)れて自由に動かすことが難しかった。

病院で貸し出された杖(つえ)をついて家に帰ると、拓に抱きつかれた。
俺より高い拓の体温がシャツ越しに伝わってくる。拓のシャツからはあの夏のような線香の匂いはしない。花の甘さと、苦みを含んだ香りがほのかに立ち上る。俺が拓の卒業祝いに贈ったオードパルファムの香り…。

「…ただいま」

杖を持っていないほうの手で拓の背中をぽんぽんとした。

「もう…、帰ってこなかったらどうしようかと思った…」
拓の声が震えている。
「大げさだな」
「僕が邪魔なのかってひねくれてごめんなさい…」

…そうだった。1週間前の言い争いのきっかけは俺だった。ひとり暮らしの話を始めたら拓の機嫌が悪くなり、そのまま家を出て…。

「あのまま会えなくなってたらって…、ずっと後悔してた」
「俺はここにいる。帰って…」
「温ちゃんが好きなんだ…。温ちゃんと一緒にいたい」

俺の言葉を遮るように拓が顔を上げる。潤んだ目を見つめていると、突然キスをされた。

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